主婦、ミッドサーティーズ!

日々の徒然なる日記です。

前震から半年

熊本地震から半年経ちました。

半年前の今頃はもう起きた後で、

わなわなしてたなあ。

地震が起きた時に家族で目を合わせたあの瞬間は、

今でも忘れられないな。

「死んだ」と思ったけど、走馬灯のように過去がぐるぐる、

とゆーより、ほんと、みんなで目を合わせた時のことと、

家が崩れる想像と、子供のいる部屋までたどり着くことの必死さと、

妊娠してたからこの揺れの中を走って子供のいる部屋に行くものの

転んではいけないとゆう、これもまた必死で。

とにかくなにもかもが必死で、何が起こってるのか、

どこがでわからないような気もしてたり。

だって、ここで地震なんて、あり得ないって、

どこかで、思ってたから。

震度3が起きたら

「珍しく揺れたね」な感じだったし。

南海トラフとかもう何年も

くるよ、くるよ、くるくる、準備しとけよ!

とテレビでも月に1回は見るようなあれで、

そっちの方が起きそうだったし、

熊本なんて、地震くるからね!なんて

生まれてこのかた聞いたことなかったし、

いろいろ、だもので、なんか、

この大きな揺れの中でも、どこか、

現実ではないような、

「なになになに!?なにが起きてるの!?」

て感じで、足元のおぼつかなさも、

揺れの中走ってる感じも、夢のようとまではいかないけど、

やはり現実ではないような気がしてたまらなかった。

でもどうか子供は無事で!というのだけが現実の想いだったりして、

ただただそれだけ、それだけで走って、

たどり着いた時に、

部屋の中で色んなものが落下してたことにも

その時は気づかないくらい子供だけを見ていて、

無事で、なんなら寝てて、

おい、この揺れでも起きんのかい!?

と一瞬緩んだりして。

子供に覆いかぶさるようにして、

近くのクッションを手に握って、

早く揺れよ、収まってと願い、

願い、収まるのだけど、また余震がきて、

繰り返し。

余震ゆーても、地震やからね。

子供を起こして外に出るべきか、

子供はこのまま寝かせて地震を知らない方がいいのか、

余震のたびに守りながら考え、

どーしよーかどーしよーか、

決断できないまま、ある程度収まったんだった。

決断しなかったことは結局、

子供に大きな地震を目を覚ました状態で体験させなかった事になったんだけど、

今回は無事だったからそれで良かったけど、

そうじゃなかった場合は、、、

と考えると今でも吐きそうだ。


今でも、前震ってなんやねん!?

と思う。

そんな言葉なかったし。

本震の、あの揺れよ。

長い、あれ。

余震も合わせたら何時間もずっと揺れていた。


変わり果てた熊本城の姿にショックを受けた。

県民の誇りだから。


この半年長かった。

まだ余震あってる。

時々大きいのもある。

ほんと、余震ゆーても、地震やから。

余震って弱いやつ、軽いやつってイメージやったけど、

かなり地震、まじ地震

余震が震度5とかなんやねんだよ。


半年経ったらうまくまとめて書けるのかと思って書いてみたけど、

そーでもないね。

何をうまくまとめようとしてたのかもわからんし。

気持ちはだいぶ落ち着いたかと思ったけど、

やっぱり思い出すと吐き気がする。


「まさか自分が」はいつもどこかにあるよな。

私はほんと、まさか自分が被災者になるとは

思ってもみなかったんだよ。

直後の数日間は色々パニックであまり考えなかったけど、

数日後には、

「私、被災したんだ、被災者なんだ」

と、なんとも言えない気持ちになった。

テレビで言ってた

「助かった命を繋ぎましょう」

が印象的で今でもたまに思い出す。